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2026.4.12「福音の説教とは」

マタイによる福音書16章13~20節(新P.31)

13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。


ハイデルベルク信仰問答書

問83 鍵の務めとは何ですか。

答 聖なる福音の説教とキリスト教的戒規のことです。これら二つによって、天国は信仰者たちには開かれ不信仰な者たちには閉ざされるのです。

問84 聖なる福音の説教によって、天国はどのように開かれまた閉ざされるのですか。

答 次のようにです。すなわち、キリストの御命令によって、信仰者に対して誰にでも告知され明らかに証言されることは、彼らが福音の約束をまことの信仰をもって受け入れる度ごとに、そのすべての罪が、キリストの功績のゆえに、神によって真実に赦されるということです。

しかし、不信仰な者や偽善者たちすべてに告知され明らかに証言されることは、彼らが回心しない限り、神の御怒りと永遠の刑罰とが彼らに留まるということです。そのような福音の証言によって、神は両者をこの世と来たるべき世において裁こうとなさるのです。


1.教会に与えられた天国の鍵

①福音とは何か

 今日のハイデルベルク信仰問答の中には「福音の説教」と言う言葉が登場しています。この福音とは「よき知らせ」と言う意味の言葉で、教会ではいつも神が聖書を通して私たちに教えてくださった「よき知らせ」が牧師や信徒によって語り続けられています。ところで、最近は別の意味でテレビのニュースなどを通してこの「福音」と言う言葉を私たちが耳にする機会が多くなっています。それは今、イランとの間で激しい戦争を行っているアメリカ、特にこの戦争を始めた張本人の一人とされるトランプ大統領を強く支持している人たちがいわゆる「福音派」と呼ばれるキリスト者だと言うことからです。そしてニュースではこの「福音派」を「聖書の言葉を字義通りに信じている人々」と言う解説も加えて放送しているのです。

 こう言う説明を聞くと、この戦争に反対し、トランプ大統領に対しても反対の意志を示すキリスト者は「福音派」ではなく、「聖書を字義通り」信じていない人々と思われてしまうかも知れません。ここで誤解を解くならば、キリスト教会が「福音」を信じないなどと言うことは決してありません。なぜなら、この世に存在するいずれのキリスト教の教派も聖書から神の福音を伝えることを大切な使命として自覚しているからです。とりわけ、聖書の権威を重んじるプロテスタント教会は自分たちを「福音主義」と言う名前で呼んで来ました。ですからこのハイデルベルク信仰問答も福音主義の教えを語っているとものと言えますし、その信仰問答を大切にする改革派教会も福音主義に立っている教会だと言ってよいのです。

 おそらく、テレビで「福音派」と呼ばれている人についてはむしろ「キリスト教原理主義」と呼んだ方が適切ではないかと私は考えています。ご存知のように聖書は神の真理を伝える唯一の書物であるとキリスト教会は信じて来ました。しかし、その聖書は古代の人間の言葉によって記された書物でもあると言うこともできます。その言葉の背後には現代とは違った古代社会の文化や生活様式が含まれているのです。そして教会の牧師はこの聖書の言葉からいつの時代にも変わることのない神の真理を明確に示し、現代を生きる人々にそれを伝えるのです。ところが原理主義者はこの古代人の文化や生活様式まで現代の人間の生活に適応させようとする傾向があります。この点で、現代の文化や人間のすべての営みは神が与えてくださったもので、それを感謝して、進んで用いるという伝統的な立場に立つキリスト教会と原理主義者は違っていると言えるのです。ですからもしかしたら、彼らにとって現代のイランとの戦いが旧約聖書などで語られる神のための戦い「聖戦」と信じられているのかも知れません。しかし、私たちが戦争でしか物事を解決できなかった古代人のように生きる必要はありません。ですから現代に生きる私たちは世界の為政者たちが平和的な話し合いで物事を解決させることができるように、神の助けを祈り求めることこそが大切であると言えるのです。


②天国の鍵

 今日の信仰問答の問83と84は教会に与えられている「鍵の務め」について教えています。鍵は私たちの日常生活には無くてはならないものの一つであると言えます。家の玄関や貴重品をしまっておく金庫に至るまでこの鍵は大切な役目を果たしているからです。皆さんもこの鍵を失くしてしまって、大変な経験をしたということがあると思います。ここで信仰問答が取り扱っているのはその大切な「天国の鍵」と言ってもよいでしょうか。もちろん、天国の門には本当に鍵がついだドアがある訳ではありません。ですからこの天国の鍵とは、天国に入るための条件と言い換えてもよいのかも知れません。この条件を満たす者が天国に入ることができ、またそうでない者は入ることができないと言う意味で「鍵」と言う言葉がここで使われているのです。

 今日のテキストに選ばれているマタイによる福音書にはイエスがこの天国の鍵を弟子のペトロに授けたと言うお話が記されています。実はこの聖書の箇所は、カトリック教会とプロテスタント教会で解釈の仕方が大きく違っています。カトリック教会はこの鍵がペトロと言う個人に特別に与えられてものと考えます。だからこの鍵は代々、このペトロの時代からその働きを受け継いで来たとされるローマの司教、つまりローマ教皇に与えられていると主張しているのです。

 方、私たちプロスタント教会はこの鍵がこのときイエスからどうしてペトロに与えられたのかと言う事情に注目します。なぜなら、ペトロはここでイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」と言う信仰の告白をしているからです。そしてイエスはこのペトロの信仰告白を評価された上でペトロに天国の鍵を与えると語っているのです。ですから、私たちプロテスタント教会はここで大切になるのはペトロと言う一人の人物ではなく、「あなたはメシア、生ける神の子です」と言う信仰告白だと言うのです。つまり、天国の鍵は「あなたはメシア、生ける神の子です」と言う信仰告白を受け継いできた教会に与えられたものだと信じるのです。だからこそハイデルベルク信仰問答はこの鍵は、その教会が行う「福音の説教とキリスト教的戒規」のことだと解説しているのです。そしてキリスト教会はこの天国の鍵を用いることで、天国への扉を開き、多くの人をその中に入れる使命を今でも担っていると教えているのです。


2.天国とは何か

 私が教会で洗礼を受けて教会学校の教師となったとき、はじめて教会学校の子どもから受けた質問を今でも忘れることができません。それは「天国は死んだ人しか入れないのでしょう…」と言う質問でした。私たちは「天国」と言うものを死んだ人が行く場所、だからこの信仰問答が取り扱っているのは死後の世界のことであり、私たちに死後に備えるための準備を促していると勘違いしてしまう人も多いはずです。しかし、聖書が語る「天国」はいわゆる「死後の世界」を語っているのではありません。むしろ天国は今、生きている者のためにもあると言ってよいのです。だから私たちはここで教えられている「天国の鍵」を使って今、天国の住人とされることができると言えるのです。

 「天国」とは神と私たちとの間の関係と呼び変えてもよいと思います。つまり、この神が私たちと共にいてくださるならば、私たちがどこにいても、そこが「天国」と呼ばれてよい場所となると言うことなのです。そう考えると、「天国の鍵」とは私たちと神とを結びつけるものと言うこともできるはずです。なぜなら聖書は、私たち人間が悲惨なものとなり、また死ななければならない者になったのはこの神との関係が断たれてしまったからだと教えているからです。つまり、ここで何度も語られる教会に与えられた「天国の鍵」はその関係を再び回復させるものであると言うことができます。


3.福音の説教とは何か

 そしてハイデルベルク信仰問答の問84はこの鍵のひとつである「聖なる福音の説教」について続けて教えています。

「すなわち、キリストの御命令によって、信仰者に対して誰にでも告知され明らかに証言されることは、彼らが福音の約束をまことの信仰をもって受け入れる度ごとに、そのすべての罪が、キリストの功績のゆえに、神によって真実に赦されるということです」。

 人はどのようにして天国に入ることができるでしょうか。失われた神との関係を回復させることができるのでしょうか。同じ聖書を信じているユダヤ教やイスラム教も天国の約束を語っています。しかし、そこに入るための条件はキリスト教会の「福音の説教」の内容と大きく異なっています。

 キリスト教会は聖書の言葉から、まず私たちの罪が神に赦される必要があると教えます。なぜなら、大切な神との関係を失ってしまったのは私たち人間の責任だからです。私たちは自分で犯した罪の責任を自分で負う必要があるのです。しかし、残念ながら私たち人間はこの責任を負う力を誰一人持っていません。だからこそ、私たちが救われるためにはこの責任を私たちに代わって負ってくださる救い主が必要なのです。そのためにたちには救い主イエス・キリストの功績が必要なのです。そして教会で語られる福音の説教はこのキリストを信じる者は、このキリストの功績を自分の者とすることができ、今や罪許された者として神との関係を回復することができることを教えるのです。

 私たちが天国に入るためには聖書が教えている戒めを完全に守ることではありません。またキリストが教える山上の説教に従って自分の生活を送ることでもありません。ただ、私たちはキリストを救い主と信じれば、救われるのです。これこそ神が私たちに与えてくださった約束と言えるのです。そして教会はこのよきしらせを伝え知らせる使命を「福音の説教」を行うことで果たしていると言うことができるのです。


4.教会の使命は天国を閉ざすことではない

 信仰問答はこの教会の「福音の説教」に対する反応として続けて次のように語っています。

「しかし、不信仰な者や偽善者たちすべてに告知され明らかに証言されることは、彼らが回心しない限り、神の御怒りと永遠の刑罰とが彼らに留まるということです。そのような福音の証言によって、神は両者をこの世と来たるべき世において裁こうとなさるのです。」

 この福音を受け入れない人々、それを信じない人々は神の怒りと永遠の刑罰を受けなければならないと信仰問答は語っています。だからこの「福音の証言」はキリストによって救われる者とそうでない者を分ける決定的な働きを果たすと教えている訳です。ここで注意すべきなのは人を裁くというようなことを行うのは教会の業ではなく、神の御自身の御業であると言うことです。キリスト教的戒規では教会がその規則に従って裁判を行うことが可能なのですが、これも誰かを滅びの刑罰に追いやるようなものではありません。このことについて次回学ぶ予定になっている「キリスト教的戒規」について詳しく学ぶことになります。

 教会は神に委ねられた天国の鍵である福音の説教を伝えることで一人でも多くの人が天国に入ることができるようにしなければなりません。確かに今、福音の言葉を聞いても固く心を閉ざす人がいるのことも事実です。しかし、それは彼らが特別に罪深い人だからではありません。彼らの姿は、かつてのキリストを信じる前の私たち自身の姿であったことを私たちは思い出すべきです。しかし神は、頑なに心を閉ざして福音を受け入れることができなかった私たちの心に聖霊を送って、私たちを信じる者に変えてくださったのです。聖書はこのすべては神の御業だと教えています。だから、今は福音を信じることができない人々であっても、神が働いてくだされば、救いにあずかることがいつでも可能なのです。

 教会はこの神の御業が働くために、天国の鍵を使って人々を天国に招き入れる使命を果たし続けます。天国の扉はイエス・キリストによって私たちの前でいつも大きく開かれているからです。


…………… 祈り ……………

 恵み深い天の父なる神さま。

 今日、あなたはみことばによって、天の国の扉が開かれていることを教えてくださいました。私たちはしばしば、その声を聞きながらも、

 心を閉ざし、ためらい、あなたのもとに進み出ることを恐れてしまいます。どうか今、聖霊によって私たちの心を開き、あなたの赦しの言葉を、自分への確かな約束として受け取ることができますように。

 また、あなたが教会に委ねてくださったこの福音を、恐れず、誠実に、愛をもって語り続ける群れとしてください。聞くだけで終わるのではなく、この一週間の歩みの中で、あなたの恵みに生きる者とならせてください。

 私たちの主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

学びのための設問

1.信仰問答が言っている「天の国の鍵」とは何を指していますか?

2.なぜそれが「鍵」と呼ばれているのでしょうか?

3.問83では、鍵は具体的に何であると説明されていますか?

4.「福音の説教」とはどのような働きですか?

5.同じ「福音の説教」が、ある人には救いとなり、ある人には裁きとなるのはなぜですか?

6.この「鍵」は人間の力によるものなのでしょうか。それとも神の働きでしょうか?

7.教会がこの「鍵」を委ねられているとは、どのような責任を意味していますか?

2026.4.12「福音の説教とは」