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2026.7.12「心の方向転換」YouTube

エフェソの信徒への手紙4章22~24節(新P.357)

22 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、

23 心の底から新たにされて、

24 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。


ハイデルベルク信仰問答書

問87 それでは、感謝も悔い改めもない歩みから神へと立ち返らない人々は、祝福されることができないのですか。

答 決してできません。なぜなら、聖書がこう語っているとおりだからです。「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません」。

問88 人間のまことの悔い改めまたは回心は、いくつのことから成っていますか。

答 二つのことです。すなわち、古い人の死滅と新しい人の復活です。


1.感謝と悔い改め

 この時間はハイデルベルク信仰問答を使って、教会の教理、つまり聖書が私たちに何を教えようとしているのかについて皆さんと共に学んでいます。そして現在、私たちはこの信仰問答の第三部の「感謝について」の部分を取り扱う学びに入っています。

 「人間は善い行いに励むべきだ」と言う教えはこの世に存在する様々な宗教だけに限らず、この世の道徳や常識と言ったものさえ強調する教えだと言えます。聖書も神を信じる信仰者が善い行いに励むことを勧めています。ところが聖書は私たちが「善い行い」に励む根拠を他の教えとは全く別な観点から説明しようとしています。なぜなら、多くの場合、私たちが「善い業」に励む理由は、それをすることで自分が評価を受けること、つまり自分が善い人間であることを神仏や人から認めてもらう目的のために行なわれるからです。

 しかし聖書は私たちが自分の力で神の前に「善い人間」として認めてもらうことはできないと教えます。なぜなら、私たちを裁く神の基準はあまりにも高く、それに対して私たちの力はあまりにも無力ですから、それを満たすことができないからです。だから神は、御自分の御子イエスをこの地上に救い主として送ってくださり、私たちに代わってこの基準を満たすことができるようにされたのです。聖書は私たちが神の前で「善い人間」と認めてもらえるのはこのイエスの御業によってだけであって、この点で自分が行う「善い行い」は何の意味もなさないと教えているのです。

 それでは聖書は、なぜ私たちに「善い行い」に励むようにと教えるのでしょうか。それは私たちのために救い主イエスを遣わして、私たちを救ってくださった神に対して感謝をささげるためです。つまり、私たちのする「善い行い」は自分のためではなく、私たちを愛し、私たちを救いに導いてくださった神のために行なうものだと言えるのです。ですから「善い行い」は自分が救われるためではなく、神によって救われた者が、その感謝を表すために行なうものだと聖書は教えているのです。

 今日の信仰問答の問いは次のような言葉で始まっています。

「それでは、感謝も悔い改めもない歩みから神へと立ち返らない人々は、祝福されることができないのですか」(問87)。

 ここで言っている「祝福」はこの問答の答えの中に記されている「神の国を受け継ぐ」と言う祝福を言っています。つまり「感謝も悔い改めもない」とは、その人がまだ神に救われていないと言うことを表す表現になっているのです。


2.人生の行動原理

①心の方向転換

 これは神によって救われている者とそうでない者の間には人生の行動原理が全く違っていることを表していると言えます。信仰問答はこのことについて「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません」と言うコリントの信徒への手紙一の6章9~10節の言葉を記して説明しています。ここで問題とされるのは、この聖句に列挙されている悪い行いの数々と言うよりは、むしろその悪い行いが出て来る人間の心にあると言えます。なぜなら、これらの行動の原理の根本は「自分さえよければよい」と言う人間の自己中心な心から出ているからです。

 神の救いを体験していない人がそう考えるのは当然であると言えるのです。なぜなら、私たちに対する神の愛を知らず、その愛を信じることができない人は、「自分で何とかしなければこの厳しい人生を生きてはいけない」と考えざるを得ないからです。しかし、イエスを通して神の愛を知った人の人生は違います。なぜなら救われた者の人生の行動原理は180度変わってしまうからです。「自分のために生きる」と言う原理から、「神のために生きる」と言う行動原理に変えられるのです。信仰問答はそれを「悔い改めまたは回心」と言う言葉で説明しています。救われた私たちの人生には確かにこの「心の方向転換」が確実に起こっているのです。


②自分の力では難しい

 人はどうしたら自分の人生を変えることができるのでしょうか。この世の心理学やカウンセリングは長い間この課題に取り組み続けて来ました。その中で得られた結論は「私たちは過去に起こってしまった事実を変えることはできないが、その事実をどのように解釈するかのか。その解釈、つまり人の認知は何時でも変えることできる」というものです。なぜなら起こってしまった事実に対する解釈は絶対ではなく、人によってその解釈は大きく異なるからです。

 企業経営者で有名な松下幸之助は著作の中で若い頃に起こった出来事を次のように記しています。かつて貧しかった彼は港で重い荷物を運ぶ労働者として働いていました。ところが彼はある寒い冬の夜に、その作業中に誤って足を滑らせて冷たい海に落ちてしまったと言うのです。幸い彼はすぐに近くにいた仲間たちによって助けられ、大事には至りませんでした。ところがその出来事の後に、港で一緒に働いていた仲間の一人は彼に「お前はついていないな。こんな冷たい海に落ちるなんて…。お前の生涯はこれからも悪いことが起こり続けるに違いない…」と語ります。ところが別の仲間は彼に対して「お前はついているな。こんな冷たい海に落ちたのにすぐに助けられた。きっとお前の生涯はこれからも幸運が続くはずだ…」と全く違ったことを語ったのです。同じ「海に落ちた」という出来事を巡って全く違った解釈を聞いたと松下は言っています。そして松下は「お前はついている」と言う言葉の方を自分は信じて生きたいと決心したというのです。

 「自分がこんなに不幸な人生を送ることになったのは、自分を生み育てた親のせいだ…」。そのように考えて親を憎み、自分の人生を憎み続け、「だから誰も信じることができない」と考えては苦しみ続ける人が多くいます。日本で生まれた「内観法」というカウンセリングの技術では、この親子関係が注目します。そして過去に起こった親子関係を巡る出来事に対して、その人がどのように解釈して来たのか、それは本当に正しかったのかを確かめさせるのです。その結果、自分が今まで持っていた自分と親との関係についての認知が変化し、自分の人生に対する見方が大きく変えられる体験をすることができると言うのです。


3.イエスの御業

 聖書は私たちと神との正しい関係を教えています。神が私たちに一人一人に命を与え、私たちを愛し、私たちの人生を導いてくださるっているという事実を私たちに教えているのです。しかし、神から離れしまった私たち罪人はこの事実に関する誤った解釈を持ったままで自分の人生を生きています。

「神などいない。もし、神がいたとしても、その神は自分に対して何もよいことはしてくれなかった。きっと自分は神から憎まれているからこんな不幸な人生を送るしかできないのだ。それなら神などいないと考えた方が楽に違いない。だから自分の力で自分の思った通りに生きるしかない…」。

 このように考えて自分の人生を憎み、この世を憎むことしかできなくなってしまうのです。しかし、私たちの救い主イエスはそのような私たちの人生を全く変えるために私たちのところにやって来てくださった方であると言えます。なぜなら、イエスは私たちの真のカウンセラーとして、私たちが持っている神に対するゆがんでしまった認知を正しく変えてくださるからです。そしてそのために、イエスはご自分の命を十字架でささげてくださり、神が私たちを愛してくださっていることを教えてくださったのです。

 ハイデルベルク信仰問答の問88は「真の悔い改めと回心」について続けて語っています。そしてそれは「すなわち、古い人の死滅と新しい人の復活です」と答えています。私たちも確かに自分の努力で、自分の人生を多少なりとも変えることができるかもしれません。しかし「古い人の死滅と新し人の復活」は私たちの努力では決して成し遂げることはできません。つまり、それは私たちの命を支配してくださる神にしかできない御業なのです。

 今日の聖書箇所として選ばれたエフェソの信徒への手紙はこの変化について「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」と教えています。この言葉で重要なのは「心の底から新たにされ」と言う部分であると言えます。なぜなら私たちを「心の底から新たにされる」のは神の御業以外にはないからです。このように私たちは神の御業によってその心が変えられたのです。だから私たちは自分の人生を自分のためだけではなく、神のために生きることができるようにされたと言えるのです。


4.神のために生きる人生

 ほんの少し前まで日本ではアメリカとメキシコを会場として開催されたサッカーのワールドカップの話題で大変に盛り上がりました。残念ながら日本チームはブラジルの厚い壁を破ることができませんでしたが、日本のために懸命に戦った選手たちに対して多くの日本人の注目が集まりました。しかし、隣国の韓国ではこれとは全く逆に決勝リーグにも勧めなかった自国のチームに対して責任を問うような騒ぎが今でも続いています。私がこのニュースの中で考えさせられたのは、この騒動を巡るインタビューの中で韓国チームの評価を求められた日本チームの監督の森保氏の答えです。彼は「結果は仕方がなかったが、そのプロセスは間違ってはいなかった」と言って韓国チームと特にその監督の采配についてもっと韓国でも評価されるべきだと語ったと言うのです。私はサッカーについてはほとんど分からないのですが、この森保監督の言葉がとても心に残りました。

 なぜなら、私たちも物事の結果だけに捕らえられてしまって、「すべてがダメだ」と考えて落胆してしまう傾向があると言えるのからです。そしてそれは神によって真の回心と悔い改めに導かれた私たちの信仰生活についても気を付けるべきことだと言えるのです。なぜなら、私たちは神によって救われた者であってもこの世はまだ不完全な人間でしかないからです。私たちの心の中にはいまでも、自分が救われる前の古い考え方がなお残されていることもあります。だから「神のために」と思って行動しても、結果は全く違ってしまうと言う体験をすることがよくあるのです。その上で、その結果だけを見て、「自分は本当に神に救われているのだろうか」と悩んでしまうことも起こるのです。

 しかし、私たちが忘れてならないことは「結果はどうであれ、私たちの行動のプロセスは確かに以前とは全く違っている」ということです。以前は「自分のため」だけを考えて生きて来た私たちでした、しかし今やその私たちが「神のために生きたい」と思うようにされているのです。そして私たちは私たちの人生ですでに起こっているこの心の方向転換こそが神の御業であることを覚えるべきだと思います。確かに結果は自分たちの思った通りでなかったかもしれません。しかし私たちの心を変えて下さった神は、私たちの人生を今でも導いて、その御心を必ず実現してくださる方なのです。だから私たちは、これからもこの神に信頼して、その神に感謝をささげる生活を続けて行くことができると言えるのです。


…………… 祈り ……………

 恵み深い天の父なる神様。

 今日もあなたの尊い御言葉を聞かせてくださり、心から感謝いたします。私たちはあなたの恵みによって救われた者です。しかし、なお罪と弱さを抱えています。どうか私たちを憐れみ、キリストの十字架によって赦し、聖霊によって日ごとに新しくしてください。

 古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着け、家庭においても、職場や学校においても、あなたの愛と真実を表す者として歩むことができますように。失敗するときもあなたの赦しに立ち返り、感謝と喜びをもって従う信仰をお与えください。この一週間も私たち一人ひとりを守り導いてくださるようお願いいたします。

 私たちの救い主、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

【信仰問答と聖書の学びのための設問】

1.ハイデルベルク信仰問答の問87を読んでみましょう。ここでは、悔い改めのない生活についてどのように教えていますか。

2.「救いは神の恵みによる」と言う聖書の教えと「その信仰には良い行いが伴う」と言う教えは、どのように両立するのでしょうか。

3.問88を読んでみましょう。ここで語られている「古い人」とは、あなたの生活ではどのような姿として現れますか。

4.「新しい人」として歩むとは、日常生活でどのような実践につながるでしょうか。

5.あなたは自分の信仰生活で起こった出来事の結果だけを気にしていませんか。そんな私たちが信仰生活の中で大切にすべきことは何だと思いますか。

2026.7.12「心の方向転換」